6日後、それは実に晴れた日だった…。
 
皆がどう教えられたのか知らない。
皮肉にも人工の”雲”が僕らを救ってくれたこと。
皮肉は皮肉を呼ぶ。…それは78分後のこと。

だから僕には特別な感情がある。
この時期には決まって毎年聞かされた。
平和の意味さえ知らない幼かった僕は、
上空を機体が行き交う度に酷く恐れた。

-想像力豊かな子だった-

飛行物体と自分を結ぶ線に壁を築くことも覚えた。
「ヒカリトカゲ」
幾度と形を変えながらイメージの中で描かれる
三角形とその角度、影…。
それは遊びではなく、生きる術だと。
 
若かりし祖父は何を想っていたんだろう。
そこから見える景色を僕も見てみたかった。
 
彼を羨ましく思う。
 
モノに囲まれた暮らしが決して幸せではないこと。
それだけは明白だ。
時を止めたまま動かないセピア色に染まった幼少の笑顔は、
一生かかっても僕には真似できない。

…こんな生き方が恥ずかしい…。

僕らは生きる”意味”を見つけなきゃいけない程病んでしまった。
でも、きっと誰しもそうなんだと言い聞かせる。
そしてあの子は訪れると。
 
2年後、父が生まれた。
もしもあの日、あの時、あの場所で、
青い空を望むことができたなら…。
 
※2003.08.15初稿

注)
当時と現在とで史実の解釈に若干異なる部分がありますが、
当時の文面をそのまま掲載しています


注2)
69年を経て八幡製鉄所が煙幕を張ったという証言がニュースになっていました